弾圧は罰を逃れない

触れずにはおかれないあるハディースで、預言者ムハンマドは次のように語られている。

「アッラーは、横暴な者に猶予期間を与えられる。しかし彼を捕らえられたが最後、もはや彼は救われない」[1]

それから、アッラーの使徒はその言葉に次の聖クルアーンの章を付け加えられた。

「このように彼らが悪を行っている時、村々を不意に襲うことが、あなたの主の捕らえ方である。かれの捕らえ方は、本当に痛烈であり過酷である」(フード章11/102)

アッラーは、横暴者に猶予の上に猶予を与えられる。弾圧する者、反抗する者、抵抗する者に対して、常に忍耐を持って対応される。しかし一度捕らえられたら、そうした者たちを救われることはない。つまり彼らの成したことはもはや最後の段階に到達し、最後の滴のようにコップを溢れさせたのである。

この世にはアッラーのいくつかの掟がある。これらは決して変わらない。

「アッラーの創造に、変更があるはずがない」(ビザンチン章30/30)

という節も、我々にこれを示すものである。これらの掟の一つが、過酷さはアッラーの剣となるという特質である。預言者はこのことについて「横暴者はアッラーの公正である。まずその横暴者によって報復が行なわれ、そしてその横暴者も報復を受ける[2]」と言われている。

横暴者はアッラーの剣となる。自分の分をわきまえない者に対して横暴者によってそれを見極めさせる。それから、その横暴者にも報復を行なわれる。あなた方もそれに驚かれるだろう。今日、横暴者たちは好き放題なことをしている。しかしあなた方はこの状態に失望してはいけない。どれほど多くの地で、アッラーはこの猶予期間を与えられ、あたかも「食べなさい、飲みなさい、暮らしなさい」と言われてきたことか。しかしあなた方も見たように、彼らは引っくり返され、終わりを告げられたのである。[3]

周囲を見渡すと、その有り様を見ることができるであろう。ソドム、ゴモレ、そしてポンペイがその例である。これ以外にも、我々が名を知らない、あるいはそれほど教訓にならないため忘れられた、まだ多くの例があり、それらは全て、アッラーの掟をその状態でもって証言しているのである。

そこまで遠くを見る必要も、そもそもない。我々が今いるこの土地には、かつてオスマントルコ帝国が存在した。それが崩壊することは、夢にも考えられていなかったのである。誰も考えたこともなかったこの国の崩壊は、今日胸を痛める感情として歴史に刻み込まれるということから逃れられなかった。現在は、ほんのわずかの人が、協定によって線引きがされたこの小さな国で、自らの存在を守ろうとしているのである。しかも、内外の敵は彼らのこれだけの権利でさえ、多過ぎると見なしているのである。

しかしここに、変わらない掟がある。「あなたの主の捕らえ方はこのようである!」歴史家や社会学者は、神のこの不変の掟と、過去の例を利用することができるであろう。もしかしたら、それは、彼らを何世紀も保ち続けることになるかもしれない。我々は、今までも我々の地平線を飾る彼の言葉の宝庫に多くの事項を託してきたように、このハディースの解説をも託し、次のハディースに移ろう。アッラーの使徒は言われている。

 


[1] Bukhari, Tafsir 11/ 5; Muslim, Birr 61
[2] Ajluni, Kashf al-Khafa' 2/49
[3] 参照:聖クルアーン巡礼章22/48

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