心と心の親密な繋がりと無関心さ

人々の心と心の親密な繋がりは、真理なる主(アッラー)の御手の中にあります。しかしながら、人間同士がお互いに協力と団結を保つためには自発的な意志を上手に活用する必要があります。真理なる主は、信仰する人々が一致団結し協力するようにと様々な動機(原因)を準備なさいました。偉大な先人の説明に拠ると、いろいろな動機や原因は彼(アッラー)の崇高さや偉大さをかくす覆いとなりますが、私達は様々な動機を生かし、団結し協力し合う義務があります。真の主(アッラー)のご承諾を得る事を としながら、これらを日常生活で実現できれば、私達の間に統一と団結がうまれることでしょう。

お互いに固く結びつき、共に1つになることには、思いもかけないような多大な報奨があります。私達のアッラーは「1」(唯一)であり、私達の(最後の)預言者(彼の上に平安あれ)も「1」(御一人)であり、私達の宗教も「1」(1つ)です。1、1、1、・・・千種以上の1の概念が存在します。すべてこれらの1と言う概念は私達に1つになること(おたがいに固く結びつく事)の必要性を指し示しています。大切な事は人が良き心で、このことを感じる事です。この1という概念を良き心で感じとる事により、人々は1つとなり、共に生きることができるようになります。

一方で、私達ムスリムの慣習も同一、風習も同一、伝統も同一、共同体も同一、運命も同一、同一、同一・・・何百種もの同一(1)が存在します。私達は悲しみや喜び、運命を共に分かち合ってきましたし、今もなお分かち合い続けています。これらすべてが、私達一人一人が固く1つに結びつき、共同体としての統一を確保するために必要な要因ではないでしょうか?

さらに、宗教、祖国、共同体、文化を総体的にみても、同じ哲学をもち、思考回路も、解釈の仕方も、考え方、感じ方も同じく一緒であり、犯す罪も被る害も一緒(1)、一緒、一緒・・・そうです、死後の復活の際も、子ども達として私達は共に在るでしょう。私達の団結、統一という概念は、これらのことに基礎を置くべきでしょう。

と同時に、言葉上でも、主に向かうことを怠ってはいけません。両腕を私達の主に掲げ、「主よ、我らにイッティハード(固く結びつく事)を齎し給え。」とドゥアーしながら、心から願いましょう。さらに、私達の団結という名のもとに、私達が地球上のすべての黄金を費やしたとしても、アッラーのゆるしなく、人々の心と心の親密な繋がりを得る事はできないと私達は確信しています。私達の信念はこれです。さやから一度抜かれた刀を、再びさやに収めることができるのは彼(アッラー)のみです。私達のなすべき事は、言動において、常に、さまざまな動機(原因)を生かし、いろいろ試みる事なのです。さもなければ、それらの結果をアッラーは創り給わなかったでしょう。

そうです、時には、多少無理を覚悟の上で、人間として、できるだけ人々に役立てる言動をなすように努力いたしましょう。私達の自発的意志(意欲)をこの方向に使いましょう。誰でも自発的意志なく、ただ一定の場所に留まる草や独活(うど)の大木になることを望まないでしょう。ですから自発的意志を使いこなせる人間となる事をお勧めいたします。ただ群れの中で、生き長らえるだけの動物になる事を誰も望みません。いえ望むべきではありません。なぜなら、万物の中で自発的意志とその意志を使う資質は人間のみに与えられたからです。そのためにも、私達はこの資質を役立たせて十分その能力を発揮するよう努めるべきでしょう、そうではありませんか?

今日(こんにち)、我らの真なる主の多大な恵みを見出すことが可能です。この世でアッラーのお許しの許に、実現されるさまざまな活動を御覧ください。ある者達はこれらの背後に、真理の主を見出せないために、「このような大きなプロジェクトを実現化できるのだろうか、どうだろう?」と驚きを隠しません。このような方々の消極的な態度にもかかわらず、存在し、起こりうるすべての出来事は、彼の御力の偉大さを示しつづけています。

そうです、すべての事を成し遂げさせ給うのはアッラーであられます。彼が御望みならば、尊敬される者達が一瞬にして卑しめられる者達と化し、又逆に、卑しまれるべき者達が尊敬される者達となり得ます。そうであるなら、私達が忘れてはならない事が1つあるでしょう。薪のような(取るに足らない)ものでも、適材適所にそれを使う事によって、人間は高く価値付けされ尊ばれるということです。

壊れたつぼの喩えのように、私達はすべての資本を広大な泉に注ぎこむべきです。壊れた壷に入るだけの水を運び、注ぎ続けなければなりません。人類の誉れ高き御方が「兄弟達よ」とみなさんに語りかけました。「兄弟達よ」と語られたがゆえに、「主よ、私達が協力と団結するためにどれほど一生懸命に行っても、これだけしかできません。私達の力、私達の能力はこれほどわずかなものです。どうか私達の心と心を固く繋ぎ合わせてください。」とドゥアーしながら懇願する以外に道はありません。ドゥアーする時、「アッラーよ、私達の心を1つに結びつきさせ給え。」と誠実に心からすべての友達の名前を一人一人想いながらなさっていますか?私の誉れのためではなく、例になればと思い申し上げますが、私は想います。想念します。ドゥアーする時、私の想念の世界では、私はいたる所を歩きまわります。そして、友の皆さんの名前を一人一人想い出します。もしそのようにしないなら、なぜだかわかりませんが、私は兄弟たちや友たちに対して大変不誠実なのではないかと感じます。

そうですね、お子さんを授からない方々がお子さんを欲したり、又、病の人々が完治を望む時には、真理の主に感極まり、苦しい痛みと共に懇願します。それと同様の精神的高揚と胸の苦しくなるような痛みと共に、「アッラーよ、兄弟姉妹たちの心を1つに結びつきさせ給え。」と、心を砕きながら、懇願するとよいでしょう。この事で残された唯一私達にできる事はとても明確です。それは、ドゥアーです。この考えをよいと賛同なさっているのに、それでもまだドゥアーをする時に無気力なふるまいをなさるのなら、私には申し上げる事はなにもありません。しかしながら、(このような悪い考えが思い浮かぶ事がないように私達はアッラーに懇願いたしますが、)この無気力な態度は、真理の主への無関心さの意味するものでしょう。彼を、そして、彼の神意と御力に無関心である事は、彼に対して不遜であるという意味です。

あまり多くを語る必要はありません。アッラーが人間に与え給う最も素晴らしい恵みの中の一つは、「アッラーへの懇願を欲する気持ち(意欲)を(アッラーが)お与えになること」です。かれ(アッラー)が人間に懇願したいという気持ちをお与えにならなければ、私達は実は、懇願(ドゥアー)することもできないのです。

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