人間性、もしくは人間であることにふさわしい生き方
あなたが人に期待する振舞いは、人があなたに期待する振舞いでもある。
人を助けようと努めることは、アッラーの恵み深さに捧げられる最も雄弁な招待状となる。
ただ微笑むことによってであれ、あなたの兄弟姉妹を喜ばせることを忘れてはいけない。
人々を愛し、愛していることを実感させることは、知の半ばを占めるものである。
人々のうちにおけるあなたの立場は、あなたにとっての彼らが占める場所と同等である。
いつでも周囲の人を怒鳴りつける人は、その希望に反して親友たちを失い、敵対する人たちを喜ばせる。
どこにでも首を突っ込む人は、犯罪から逃れることができない。
あなたを喜ばせる事々は、人々をも喜ばせるものである、ということを忘れてはいけない。
利口な人は、周囲の人の力をも、自分のために生かすことができる。愚かな人、不器用な人は、この秘められた力を生かすどころか、周囲の力が彼を妨げるような方向にことを運ぶ。
近所付き合いとは、近所に住む人たちに対して行なわれるものだ。
その人の災いを恐れるのなら、あなたの善によってその人を和ませることができないか、試してみなさい。
罰を受けさせることができる場合、その人を許しなさい。その許しは尊いものとなる。
あなたの母の胸に抱かれることのなかった、多くの弟妹たちが存在することを決して忘れてはいけない。
無条件に従う人々を除き、狂信的な人々は、周囲の人々を虐げる。
全ての人を満足させることが、全ての勇敢な人々に利益をもたらすとは限らない。
よいことを目にするための道は、よいことを行なうことから通じる。
悪意は人を目も耳もきかず、心も失った状態にさせる。
よいことであれ、悪いことであれ、他人に対して行なったことは、明日あなたの身に起こることの種となる。
魂の鏡においては、善と悪は共に並んでいる。
理想的な人とは、ろうそくの様に自らを燃やし、他人に光を与える人である。
舌が長く、手が短いというのは、蛇には妥当なことであっても、人間にとっては蛇のようになってしまったということを意味する。
許すことの価値は、罰を与える力や、及ぼすことのできる権力に比例する。
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