英知の観点から 良心
人の、自分やその存在への洞察の称号である良心は、求め、感じ、理解し、常に永遠へと開かれている精神のメカニズムである。
精神の、意志、感情、知性、心といった感覚機能は、同時に良心にとっても重要な基盤であり、ここで人は完成された人へとされ、また来世においても永遠の幸福とアッラーにまみえる状態へと到達させられるのである。
良心は神を顕す輝かしい鏡であり、神への通詞であることにおいてもそれに比類するものはない。その存在を感じさせる精神、その声を聞くことができる耳を見出すことができさえすれば。
良心は、魂の感覚であり視覚であり知覚であるが故に、それは常に空間を超越し、彼方へと開かれ、正しい尺度を持ち、天使の高潔さに等しいほど、罪から遠い存在であることが認められている。
イスラーム法学者は多くおり、そのほとんど全てが、理解できる範囲で同じ源を根拠とし、ファトワ(宗教上の勧告・布告)を出す。良心は、確かな視点を持った法学者のようであり、真実に応じてファトワを出す。そして出したファトワが誰かを誤らせたり誰かに不正をもたらしたりすることがない。
普遍的良心とは、人々のうちの大多数の感覚、洞察、認識を意味し、それが誤りであることは極めて少ない。殊に知られている事実、獲得されている事柄が同じ感化の源からのものであるならば。
普遍的良心は誤ることがなく、欺瞞であることもない統治者であり、人はその支配に満足し、その統治を受け入れる必要がある。これは、それが一部の問題においては最後の拠りどころであることを意味している。
義務は、アッラーが命じられ、預言者たちのような正しい良心が実行するものである。もはやそれを受け入れないことは不可能なのだ。神は絶対的な統治者であられ、良心はその最も正確な鏡である。時に曇ることがあったとしても、多くの場合そこに映すものを正確に示すのだ。
人の振舞いや態度における均整は、彼の魂や思想の均整からもたらされるものである。人の行動において見られる幽玄界への知識は、その人の良心が彼方へと開かれていることからもたらされるのだ。
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