アッラーの存在を示す主要ないくつかの論証

存在することを証明することは、存在しないことを証明することよりもたやすい。りんごというものがこの世界に存在することを証明するには、りんごを一つ示すだけで事足りる。しかし、それが存在しないと主張するならば、世界中を、さらには宇宙をも巡り、それでやっとそれが存在しないことを証明できるのだ。これは不可能と言ってもいいほどに困難なことである。だから、存在しないということを証明することはできないといえるかもしれない。

証明できる者が二人いれば、それには何千人もの否定者よりも重きがおかれる。二人が同じ事実に到達したとすれば、何千人もの人が狭い視野で個人的に考え、それを否定したとしても意味がないのである。

神の存在はどんな議論も必要としないほど明白である。聖人的な学者たちの中には、神こそは最も明白な存在であり、洞察を欠く人々が見ることができないのだとさえ述べたもいた。他の人たちは、神の明示の強さが、ご自身を直接的な認識から覆い隠すのだと述べた。しかし、実証主義と唯物論は、ここ数世紀に渡って科学と人々に大きな影響を与えてきたので、神の存在のようなテーマについての議論が必要とされている。現代において普遍的となっている「科学的な」世界観は、存在を直接的に知覚できるものごとに限定し、はるかに広大な規模で目に見えないものごとを覆う。その結果生じる覆いを取り除くため、不可欠である神の存在について、伝統的な例示を再確認してみたい。

その前に、一つのシンプルな史実を考察してみよう。人類の誕生以来、圧倒的大多数の人々は、神が存在すると信じてきた。これだけでも、神の存在を証明するために十分である。信じない人は、信者より賢いと主張することはできない。これまで、最も優秀な学者、科学者、研究者の一部分は信者であったし、今でもそうである。全ての預言者や聖人たちがそれぞれの分野での専門家であったように。

加えて、「何かの存在を承認しないこと」と、「存在しないことを承認すること」は、往々にして混同される。前者は否定や拒絶に過ぎないが、後者は論拠を必要とする判断である。今まで誰も神の非存在を証明したことはないし、それは不可能である。無数の議論がその存在を立証するのである。この点は、以下の比喩によって説明される。

宮殿の扉のうち九百九十九ヶ所が開いていて、一ヶ所だけ閉まっていたとしたら、その宮殿に入ることは不可能だと主張することはできない。否定する者たちは、いつでも閉まっているその唯一の扉に注目を集め、見せ付けようとしている。そもそもその扉も、彼らの眼を覆う覆いのために、彼らの精神世界に対して閉ざされているだけである。眼を閉じなければそれで十分なはずなのだ。九百九十九ヶ所は開いているのだから。しかもいっぱいに開かれているのだから。

神の存在への扉は、心からそこに入ろうと思うのであれば、誰に対しても開かれている。ここで、それらの扉、論証のうちいくつかを示そう。

1.存在を確定するお方

存在と無は、同じ可能性においてあり得る。この世界はそういう可能性を包含するのだ。存在し得るのと同様、無でもあり得る。存在する場合も、その存在状況が無数にある中で、そのうちのどれであれ適用となる可能性がある。つまり、存在するものと同じくらい、存在していないものにも、存在する機会はあるのだ。全てのそういった可能性は、外部からの要因に依存する。だからまず、存在すること、それからそのあり方、状態を、存在しないこと、他のあり方と状態に対して選んでいる誰かがいるのだ。だから、存在することとそのあり方と状態を決める誰かがいるのだ。

2.変化するものは最初から存在し得ない

この世界は、常に変化していくものである。変化するもの全てに始まりがあり、最初から存在していたものではない。熱力学の法則によるならば[i]物質が常に無の方向に進んでいくこと、宇宙が常に膨張していること、太陽が猛スピードで過ぎさって消滅へと向かっていること、などといった事実は、存在に始まりがあることを示している。後から存在し始めたものには全て、それらを創造したものがある。要因のない結果、作り手のない芸術は存在しない。要因は鎖のようにつながって限りがない。だから、常に変化し、無期限ではなく、後から存在し始めた、そして最初の要因を必要とするこの現象界にはある主が存在する。

3.命という神秘

命は神秘だ。それは、目に見えるものだけでは説明がつかないほど、考えさせられるものであり、創造主の力を証明するという点からも、明瞭な存在である。それは直接、創造主を示し、明らかにする。謎であることによって学者達を、そして明瞭であることによって一般の人々をも魅惑する魔法のようなものである。命は、まるで「私を創造し存在させるのはただ全能の神である」と語っているようである。

4.物事の均衡と完全性

全ての被造物は、自らがその構成要素において均衡と完全性をもっている。それと同様に、全世界もそれらを構成する様々な存在群において均衡と完全性を持っているのだ。これは、秩序や規律といったものの存在を知らせる間違いのない証拠である。そしてそれは、規律を与えているある存在を示すのだ。

全ての被造物、そして宇宙全体は、それら自体とその相互関係において、すばらしい調和と命令を明らかに示している。一部分の存在は全体の存在を必要とする。そして、全体も、その存在のために、すべての部分部分の存在を必要とする。例えば、変形してしまった一つの細胞が、全体を破滅させうるように、一つのざくろはその存在のために、空気、水、土、そして太陽の、互助的な、そしてバランスの取れた協力を必要とする。この調和と協力は命令を出す存在を明示する。その創造者は、全ての関係と特性を知って、あらゆる事柄を命令することができる。この命令の創造者が神なのだ。

5.作品の芸術性

原子から人間まで、細胞から惑星まで、全宇宙には人を圧倒するほどの芸術性がある。この世界に存在する全ての作品は、大きな芸術的価値を持ち、非常に貴重であり、非常に短時間で容易に成し遂げられ、

非常に多数存在し、複雑で、非常に種類が多くて、継続的である。

一般的に、短時間で、たくさん、簡単に、そして複雑な状態で作られた作品には芸術性は存在しないものである。ただ、それを作られるのが全知全能アッラーであれば状況は一変する。相反すべきものが同時に存在するようになるのだ。

6.意識的な事象とその目的

全ての創造されたものには、何らかの意図がある。環境に関する例をあげてみよう。どんなに無意味に思えるものにも、重要な役割と目的が存在する。あらゆる事項、活動、および出来事には、多くの意図がある。不合理で、何の目的もなく、無意味で、無駄と見なされるような状態を示すことは、全くないのである。植物であれ、動物の世界であれ、あるいは様々なものや事象において、意識や意志を持つものはないのにも関わらず、連鎖的な目的が追及されているのだ。この事実は、創造において、目的を追求するある賢明な存在を必要とする。実のなる木の目的は果物をもたらすことであり、その生涯はその目標に向けられる。同様に、「創造の木」は最終的で最も包括的な果物として人類をもたらす。人類の創造までのチェーンは、明らかに最終的な目的に方向付けられる。創造における英知と意図は、明らかに神を示している。

7.恵みと糧の授与

全ての創造物、特に人間が必要とするものは無限にある。しかしその力は、無といっていいほどである。創造物は必要とする物を思いもかけなかったところから、思いもかけなかった形で、どのような必要性であれその通りのあり方で与えられる。こういった助けが与えられること、要求に応じられることは、次の事項を証明する。すなわち、全ての必要性に慈悲の手が応じているのである。宇宙全体で実行され、今後も無限に実行されていく、この慈悲と慈愛と恵みの授与、これらを行なうことができる資質を持たれ、不足という資質からは遥か遠い存在であられる聖なる存在を示し、証明しているのである。

8.相互援助

お互いに近いものから遠いものまで、全ての被造物はお互いの援護に駆けつける。この相互援助は非常に包括的であり、ほとんど全てのもの、水、火、および土、太陽、空、植物、動物は、実によく調えられた方法で相互援助において、あたかもある完全体の一部であるかのようにお互いを補完しあう。

バクテリア、みみず、そして土、空気、水、熱は協力し合い、同じ目的のもとに集い、植物を援護している。そしてこの支援関係は継続されているのである。私たちの身体の細胞、器官は、私たちを生かすために一緒に機能する。

知恵や意識をもたないこれらの存在の、知能や意識を驚愕に陥れるほどのこの活動は、後ろ側で、その存在が絶対である、あるお方の英知に満ちた働きであることを示し、この相互援助という言葉で「アッラー」と訴えているのだ。

9.清潔さ

身体から地球、地球から宇宙のかなたにいたるまで、この世界における清潔さ、清らかさは、それ自体が証拠として「清らかな」という御名によって讃えられるある存在を示している。

人類が空気、水、そして土壌を汚染し始める前は、自然界は絶えず洗われ、浄化されていた。今でも、近代的な生き方がまだ及んでいない多くの地域では、まだ元の純粋さを保存している。あなたは今まで、自然がなぜこれほど清潔なのかと考えたことがあるだろうか? 多くの動物が毎日、そこで死ぬのに、森林はなぜこれほど清潔なのだろうか? 夏の間、生まれるすべてのハエが生き続けたなら、地球は完全にハエの死体の層で覆われていただろう。自然においては何も浪費されることはなく、それぞれの死には、新しい生の始まりがある。例えば、死体は、土の中で分解され、同化される。その成分は植物に還元される。植物は、動物や人間の胃で死んで、より段階の高い生が促進される。死と再生のこのサイクルは、宇宙を清潔、純粋に保つ一つの要素である。バクテリア、昆虫、風、雨、ブラックホール、有機体の中の酸素は、みな、宇宙の清潔さを保持する。この清潔さは、その属性に清潔さ、純粋さを含む完全なる神聖な存在を示す。

そう、地面をきれいにするバクテリア、小さな昆虫類、蟻や、多くの肉食の鳥たち、風、雨、雪...。海には氷山や魚、空には大気、宇宙ではブラックホール、我々の体の組織において血を清める酸素、我々の精神を苦しみから救う霊的なそよぎ、これらはみな、清らかなお方の御名を知らしめるものである。そしてその御名の背後の聖なる存在を語っているのである。

10.人の顔

最初の人間アーダムと妻のハウワー(イヴ)が創造されて以来、無数の人間が生きてきた。皆、同じ起源(精子と卵子)を持ち、またそれらも、親たちが食する同じような食物によって形成され同じような構造、要素、器官を持つにもかかわらず、全ての人が独自のな容貌を持っている。科学はこの奇跡的な独自性について説明することができない。DNAや染色体で、この点を説明することはできない。この違いは、この世界における個人の最初の分化まで遡るものである。

そのうえ、この相違は容貌だけに見られるのではない。全ての人間は、性格、願望、志、能力などにおいて独自性を持つ。同じ種に属する動物は、皆ほとんど同じであり、振舞いの違いを示さないが、人間はそれぞれが、人間性というより大きな世界において、その人自身の世界を持つ、それぞれ異なった種のようである。

本来は全ての被造物についていえることであるが、テーマを特定するために、人間、そして人間個人個人をお互いに異なるものとする上で最たる働きを持つ人間の顔について、ここでは触れたい。

誰のものであれ人の顔は、最も細かい部分にいたるまで、それ以前に現れた何十億もの人の誰であれ、その顔は似ていない。これは、それ以降に現れる人々についても同様である。

ある部分、他のものとそれぞれ同じであり、またある意味ではそれぞれ異なる何十億もの絵を小さなスペースに描き、それぞれを同じような他の何十億の絵と区別すること、あらゆる可能性が無限にある中で一つのあり方におさめること、これは当然、全ての被造物をあますところなく把握し、それぞれに形を与える力と英知をお持ちのアッラーが力強く宣言されるある布告なのだ。

ある顔にある器官を、他の顔にあるものとは異なる形で創造すること、全ての眼を完全にそれぞれ他の眼から区別させることは、例えその眼に輝きがなかったとしても、心を持つ人なら誰にでも、これら全てを創造され、無限の英知で保持されるあるお方を示し、知らしめているのだ。

11.生物の生まれつきの才能

アヒルの子は、卵からかえるやいなや泳ぐことができる。卵から出てきた蟻は、すぐに巣を掘り始める。ハチは、わずかのうちに芸術的奇跡であるその巣を作り始め、クモも刺繍のような細かさの巣を作る。

これらから我々は次のことを知ることができる。すなわち、こういったものたちは、別の世界で身につけた知識、天性の才能によってこれらをこなしているのである。しかし、人間は知性の面で全ての被造物の中で最も完成されたものであるにも関わらず、全てをこの世で学ばなければならないのである。

つまり、彼らにこういった能力を与えているのは彼ら自身ではなく、全てを英知によって行われるお方であり、彼らにこのような恵みを与えられておられるのである。

何キロも先の地点で卵を産み、それを残して元の地点に戻る習性のあるウナギの幼魚たちは、卵から孵るやいなやその場から出発し、その親を見つける。これを神聖な導きという以外に何と表現できるだろうか? 動物達に見られるこの絶妙さは、アッラーが与えられた才能と見なすことこそが最も論理的で知性的な解釈となろう。それ以外の解釈は見せかけの真実からできているものに過ぎない。

12.魂と良心

本質について知ってはいないものの、その存在を誰も疑っていない魂(ルーフ)や、それが我々の体に及ぼす作用のあり方もまた、アッラーを知らしめる論拠の一つである(魂についてパート2第2部を参照)。

魂はこの現象界へただ発達し、そして成熟するためにやってきたのだ。この英知が結果にもたらす影響についてはここでのテーマではないため、私たちはここではただそしてそれが証明している点について触れるのみでよしとしたい。

現象界の本質的部分とは一切つながりを持たない魂が、その固有の世界からこの世界に送られてきたということ、ここで成熟させられるということそれが明らかな計画に沿って進められること、これらは疑いもなくアッラーを示す最も重要な根拠の一つである。

さらに、人における内面的直感、一見理由もないような状況で人が神へ向き直りそちらへ進んでいくこと、こういった出来事が無数に繰り返されてきたこともまた、次のことを明らかに証明している。すなわち、人においてその創造の時から存在する良心というもの、真実の神を見い出すために最も重要な手段の一つでもある良心というものは、自らの創造主に従うほどにそれに感じ入り、それに結びついているのである。

13.善に対しての愛情と悪に対しての憎悪

どの人にも、善や美に対して愛情を抱き、逆に悪や醜さに対して憎悪を抱く感情があることは、反対意見を思いつく人もいないであろうほどに明らかな真実である。

こういった感情は、道徳的に振る舞うことや善いことを行なうことへの傾向をもたらし、また徳に反する醜い振る舞いに対して嫌悪を抱き、それを避けることを助けるものである。このあり方は、次のことを証明している。人に善や美を命じ、人を悪や醜い行動から遠ざけるしくみを保持しておられるのが誰であれ、人のそういった感情を与えられるのもまた、そのお方なのだ。そのお方というのがアッラーであられることは疑うべくもない。

宗教史は、人がいつの時代であれ宗教をもたずにいたことはない、ということの証人である。迷信的なものであれ、おかしいものであれ、ほとんど全ての時代で人は何かの教えを信じ、それのもたらす精神的システムに従ったのである。更に、信じることは一つの必要事項でもあるのだ。それが人間の天性のものであるからである。人の生まれながらの性質にこのような特徴を与えられたお方と、我々に信じることを命じられたお方とは同じ存在であられる。それが、アッラーなのだ。

14.永遠への思い

人は、何千もの感情を備えている。全ての感情は、物質を超えたある世界からのメッセージという本質を持っている。ただ、人はもう一つの感情を持っている。それは、直接アッラーを知らしめるものである。その感情とは、人が持つ永遠への思いである。

この感情によって人は常に永遠を求めて努力を続けるのだ。有限であるものは何であれ、人に真の喜びを与えることはない。

そしてこの感情は、有限である何かの存在が人に与えたものではあり得ない。限界を持つ存在は決して、永遠という感覚を与えられないのだ。

この感情の存在は事実であり、否定はできない。だからこの感情を我々に与えられたのは、我々をこの感情とともに創造されたお方なのである。そして、永遠の命をもまたこのお方がお与えになるのである。

15.一致

十人の嘘つきな人たちが次々とやってきて、家が火事だと伝えた場合、彼らがそれまでの生涯で正しいことを語っているのを聞いた覚えがなかったとしてもなお「もしかしたら」と、我々はそれを信じるだろう。なぜならそこには一致、というものが存在しているからである。

ここで我々がテーマとしている一致は、何千人もの預言者、何十万人もの聖人、何百万人もの信者達の間に見られるものなのだ。様々な土地で様々な時代を生きた人々が、アッラーは存在する、と言う真実において合致しているのである。

十人の嘘つきが一緒になってついた嘘に重きを置きながら、何百万人もの、しかも人生で嘘をついたことのない預言者達や聖人たち(脚注8を参照)を含むこの大きな一致を信じないのはどうしてであろうか。その振る舞いを知性的ということはできるだろうか。

16.クルアーン

クルアーンがアッラーの言葉であることを証明する全ての論拠は、同時にアッラーの存在をも証明するものである。クルアーンがアッラーの言葉であることを証明する多くの論拠があり、これらは関連するイスラーム書籍において仔細にわたって解説されている。ここで、それらの論拠をこういった書物に譲ることとしたい。そう、これらの根拠は全て、その独自の言葉でアッラーは存在する、と告げているのである。

17.預言者たち

預言者たち、特に預言者ムハンマドが、預言者であることを示している全ての論拠もまた、アッラーを示す証拠に含まれる。なぜなら預言者たちの存在の意図は、タウヒード、すなわちアッラーが存在すること、アッラーが唯一の存在であることを示すことだからである。だから、それぞれの預言者が預言者であることを示す全ての根拠は同時に、アッラーの存在の証明でもあるのだ。預言者たちが預言者であることの論拠については、ここではテーマからずれることになるため、詳しく言及することはしない。一人の預言者が、アッラーの使いであることを示す全ての証拠が、同じ力強さで、あるいは更にもっと力強く「アッラーは存在し、唯一であられる」と語っているのだ、ということを述べるに留まろう。


[i] 訳者注 熱力学第二法則は増大の法則とも言われ、あらゆる物理法則の中でももっとも確からしいとされている。エントロピーとは系(システム)無秩序の度合いを表す概念である。一言で言えばこの法則は「形あるものは時間によって崩れる」ということである。

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