発展

一国の発展と進歩はその境界内に住む人間にいかに知的・精神的訓練を施すかにかかっている。国民に知的・精神的発展が欠けている国では発展や進歩は望めない。

かつて開墾した土地の手入れを怠り、ブドウ園や庭園がごみの山に転じるがままに放置したとき、その国は後進国となる道を辿り始めるのである。荒地に肥料を撒き、将来はブドウ園や庭園となるよう耕作することこそが進歩である。

発展した国とはあちこちに庭園があり、山にはブドウ園が広がり、信仰の場所が崇高な地であるような国である。反対に、後進国において町々は廃墟のようで、通りはごみの山、信仰の場所は朽ちてカビの生えた集会場と化してしまっている。

何かが改善を見るとき、それは以前よりも清潔で輝き、より良く、より整然と変わるものである。したがって、あるがままの状態で満足することは努力を怠ることとなり、他方で真の進展とは改善を施すことである。

個々の前進はまず概念として現れる。次の段階では大部分を占める人々が、それを確信を持って受容するようになる。最後に、心も思考も同じくする人々によって実行に移されるのである。根拠と科学に基づかない、いかなる試みも骨折り損となってしまう。

国民全体が同じ目的に向かって進むことが国の発展の前提となる。いくらがむしゃらに取り組んだとしても、一つのことに対して「黒」と言う人と「白」と言う人がいるようでは発展や進歩は望めないのである。

共通の伝統の下に民の教育を行わない共同体は徐々に、それぞれ異なる知識や教育を背景とする集団に分裂してしまうだろう。こういった集団は互いに敵意を抱く。そのようなひびの入った共同体では進歩への道は途方もなく困難を極めることとなる。

教育は紛れもなく国の発展にとって重要なものであるが、若者たちがその国の伝統的価値観に則った教育を受けなければ期待するほどの成果は決して得られないであろう。

真の、そして有益な進歩を得るためには現状を正しく評価し過去の世代から引き継がれてきた経験を賢明に生かすべきである。もしこれからの世代が先人の経験から学ぶことをせず、自分勝手なやり方を採用するとしたら、その国は前進する代わりに後進することは免れないだろう。

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