文化

文化とは、それに所属する人々が自分たちの社会を最も有効かつ効果的に発展させていきたいと願う場合に頼りとすべき重要な拠点である。社会が進むべき方向性が一致し結束しているか、またどの程度の活力を持っているかということと、文化的源泉の真正さの間には極めて重要な関連性がある。

文化とは、言語や教育・伝統・芸術といった、社会の構造や生活様式を構成する基本的な要素が交じり合い、安定した状態で成り立っているものである。これら基本的要素がそれぞれ類まれな特性や他と異なる特徴・気質を包含する(もしくはしているはず)という事実から目をそらすのは、ある意味、無分別といわざるを得ない。それらはその文化に所属する人々を反映するものだからである。本質的な文化的価値観を捨て去った社会はいや応なくアイデンティティーを失う結果となり、独自の社会たる立場は崩壊してしまうだろう。

確固たる特性を持つ独自の社会が存在するには異文化間における意見交換や人々の交流はありえない(もしくはすべきでない)、というわけではない。というよりは、それぞれの文化は他文化から入ってこようとする要素に対しては「ビザ」のようなものを要求すべきということである。つまり、その要素が入ってくることによって元からある固有の文化にどのような影響を及ぼすのかを慎重に考えた上で、「入国」する権利があるのかどうかを問い、許可を与えられるべきなのである。異文化的要素は固有の文化に吸収されてしまう前に「蒸留」されるべきである。そうでなければ文化そして文明の危機が降りかかってくることになろう。

独自の文化というのは、真の宗教、気高い道徳と美徳、そして十分に熟考された知識が溶け合った中から生み出され進化していくものである。宗教が敵対視され、道徳が否定され、そして無知がはびこっている場所で、高度な文化は形成されないであろう。

やみくもに他人の文化や文明を受け入れることによって自己の存在の継続や生き残りを図ろうとする人々は、他の木に実る果実を自らの枝にぶらさげた木のようなものである。自らを欺いているにとどまらず、自身を嘲笑に晒しているのだ。

人々にとって様々な文化的価値は何を意味するか。それは、木にとっての花や果実が持つ意味合い、そして重要性とまったく同じなのである。独自の文化を紡ぎだすことに失敗しそれを放棄した社会は、実を結ばない木かもしくは果実が落ちた木になぞらえることができるかもしれない。そのような木は今日か明日にでも、切り倒され薪として使われる運命が待ち構えているだろう。

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